【仮説】共感と謝罪:素直に謝れないなら、自分事にしてしまうってのはどうだ?
事象:素直に「ごめん」と言えない
子供が生まれ、やることが増え、ミスも増え、その結果謝罪が必要なタイミングが増えた。が、素直に謝罪する、ということが、とても苦手だ。そのことで、話がどんどんややこしくなっていき、誰も得をしない。
問題を腑分けして、対策考えてみます。
多くの場合、よりよい関りは「不適切なやり方を減らす、やめる」から始まります
焦らず、そこからですね
- 事象:素直に「ごめん」と言えない
- 謝罪とは何か:「悪いことしたら謝らなければいけない」という誤解
- 阻害原因1:イマジネーションの質的障害
- 阻害原因3:自己の正当化
- 補足:この仮説の穴
- 疑問:人はなぜ謝罪を求めるのか
- 参考文献
- 関連書籍
④謝罪をそれ単体で完結させられない点も「謝れないレベル」は高い人の特徴だと思う
③謝る際に条件をつけたり、相手の言い分を評価する姿勢は「謝れないレベル」相当高いと判断されそう
これ、私のことですね。
※ この先の内容、読み返すとなんだか捻れているような。でも、パーツパーツは捨てるほどの物でもなく、未整理ながら考え方として使える物もありそうなので、いったん公開しちまうぜー。
謝罪とは何か:「悪いことしたら謝らなければいけない」という誤解
いつからかはわからないが、謝罪は悪意に基づく行為に対して反省し、自分の非を認めることで、再発を防止するための心構えを作ることだと思いこんでいた。
だが、世間での理解は、どうやら違うらしいことに、30歳過ぎてようやく気が付いた。悪意の有無とは関係なく、相手の感情(悲しんでいる)を重視しケアするための行為らしい。
もっといえば、
謝罪:
- 自分の行為がきっかけとなって相手の気分を害してしまう可能性が生まれてしまった(謝罪条件の成立)ことに気が付いていることを相手に伝えることで、相手との関係性を壊さないようにすること
- 起こった事象が好ましいものではなかったときに、お互いの関係が壊れてしまうことを防ぐために、自分のせいかもしれないと表明すること
と定義できるかもしれない。①は事実認識に基づくもの、②は事実はどうあれ謝ってしまえ、というもの。いずれにせよ、人間関係の維持が目的だ。しかも、状況の解決も同時並行しながら、コミュニケーションによる心のケアを行わなければいけない。どちらかを切り捨てて良い、とはならないはず。
悪いことをした人が使うわけではないということがポイントです。誰も悪くない時に、相手の気持ちを大切に思って、「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」などと言うわけです。
自分がしたことにより相手が迷惑をこおむった場合は「わざとじゃないもん」と言い訳をさせずにまず「ごめんなさい」と言わせましょう。
「わざとじゃないもん!」口ごたえ、言い訳習慣がある子が将来大人になったら…? (2015年7月9日) - エキサイトニュース
相手に何が起き相手が何を感じたかを知る必要がある
事実をきちんと認識し、自分の行為の結果が相手にどういう影響をもたらしたのかを把握すると、自分の行為の悪意とは関係なく「悪くないもん!」と主張することを諦めて受け入れて謝りやすくなる気がしてきた。(20/3/10)
ただ、これがそもそも難しい。以下、先日実際に起きた我が家の事例。
妻:(あなたがさっき掛けた)いすのカバーが破れちゃってるよ!
夫:ああ、破れちゃってるねえ。さっきつけたときは破れてなかったよ。
妻:破れるとしたら着けたときでしょ。
夫:そうだねえ。そんときかもね。まあ、そんなこともあるよね。
妻:それでいいの?(そんな程度の返答で良いと思っているの?あなたがつけたときに破れた結果私が使いにくくなってるんだから謝りなさいよ)
夫:(破れたままでは)良くないねえ。使いずらいし。
妻:そんなんでいいの?(謝りなさいよ)
夫:(破れたままでは)良くないねえ。
括弧内は口には出していないお互いの真意。完全にすれ違っていて、夫は謝罪を求められていることに気がついていないし、誰かが謝罪すべき場面であることにも気づいていない。
※「そんなこともあるよね。」は、被害者しか使ってはいけない。加害者は使ってはいけない。
以降、これまで障壁になっていたと思われることとその対策を検討してみる。
阻害原因1:イマジネーションの質的障害
自分は悪くないから謝罪する必要がないという発想は、相手の感情(悲しんでいる)を重視しケアする必要性を感じていないこと、あるいはそもそも悲しんでいることに気が付いていないことに起因すると思われる。もしそうであればこれは自閉症傾向、特に共感や想像が苦手という特性が対人関係において障害となってしまっている事例ってことになる。
対策1:自分事にしてしまい素直に凹めば、謝れるかも(共感せずに自ら凹む)
素直に謝るのに、情動的共感(相手に同調して一緒になって自分も同じ感情になる)や、自分の言動が他者に与える影響やその結果を推測する力(≒想像力/認知的共感=相手がその感情に至った道のりを再現する。同調は不要。)が必要だとしたら、それはそう簡単には改善しない。となると、別の方法で補完する必要がある。
物の本を読んだり、リタリコ発達ナビで質問したりした結果、共感や想像の対象となる他人事ではなく、自分事にしてしまうのが良さそうだ、というのが今の結論。
自分事にしてしまえば、「悲しいんだろうな」という想像と共感ではなく、「自分が悲しい」となり、素直に「失敗しちゃった。。。ごめん」となれるのではないか、という希望的観測。さらには、失敗自体を減らせるのでは、と。
ただ、失敗したけどまあしょうがないか、と思っていると、謝れない。
☔️ごめんなさいってどんな気持ち?☔️#育児 #育児漫画 pic.twitter.com/ANvy4PKORN
— さざなみ🌟書籍「どんなときでも味方だよ」って伝えたい!1月21日発売💎 (@3MshXcteuuT241U) 2020年3月19日
具体的な行動指針
認知的共感の力を高める↓
一度子どもの感情を受け止め、それを言葉に出すことが子どもに共感することになります。
受け身の活動の時にエラーがおきているようなので、受け身の活動に主体的に取り組めるようにすることだと思います。
おむつを替えている時、小声でいいので「今から、おむつをとるよ。今度はふくよ」と、実況中継をするように語りかけてはいかがでしょうか。
自分ごとにする↓
想像も共感もできなければ、自分事にするしかないのかも。動け動け動け。#自分が当面するいちばん切実な問題をそれぞれで片付けていく https://t.co/i8gDi1ZiEA#当事者意識って要は自分の思うまま好きなように行動せよという推奨の文句https://t.co/uiFmd7Pul5
— jinthebassman (@jinthebassman) 2019年10月4日
対策1の障壁:コミュニケーションの質的障害
自分事にしようと主体的に関わり始めると障害になるのが、コミュ障である。
他人がやっていることに主体的に関わるためには、不明点を相手に尋ねて理解する必要があるが、ここでアスペルガー特性が障害となる。
また、素直に謝罪しない時点でイライラしている相手に対して、自分を正当化するため状況を説明しようとしているときにも、コミュ障が火に油を注ぐ。
対策2:やはり自分事にしよう
うまく伝えるためには、端的に結論を話す、みたいなことになるだろうか?
ここでも、相手が求めていることを情動的共感や認知的共感で特定することが重要になる。。。
と、ここで行き詰まってしまうので、コミュニケーションスキルを磨くより、自分事にしてしまって、共感や想像の出番を回避してしまえばいいのではないか。
自分が求めてることなら、どこが肝なのか、自分で整理して見つけられるかもしれない。時間はかかるけど。
他人事は諦めてみるのも手か
とはいっても、何でもかんでも自分事になんかできっこない。なら、選択と集中だ。そこから、謝罪したい相手=大事にしたい相手との信頼関係を築いていくしかないのかも。
信頼が得られればコミュ障問題も回避できる可能性があると、ズーニー先生もおっしゃっているしね。
ミスすると、当事者意識を持てって話が出てくることがあるけど、これは、ミスに対しての当事者かどうかの話ではなくて、それに対して影響を被って感情を害した人たちの感情に対しての当事者かどうかの話なのかも。精神論だ。(20/4/20)
妻と子と自分のそれぞれが、できるだけストレスなく生きていくことが、最重要課題。そのための、選択と集中。休息の確保。余分な遊びは捨てる。必要な遊びは残す。飯も食う。くうねるあそぶ。自分の仕事を遊びに含めるのが理想。#大切な時間は大切な人に使いな
— jinthebassman (@jinthebassman) 2019年9月17日
「本気になる」ために「当事者意識を持つ」と一口に言っても、そもそも人によっては「当事者意識を持てない」活動・物事もあるんじゃないだろうか、という話。
「じゃあ好き勝手にやってみろ!」と奮起させるのが、この「当事者意識」なんじゃないかな……と、そう感じました。
この「自分をなくして、相手の機嫌を取る」行為、これまで「修行」と呼んでいたものを、私は「僕滅運動」と呼ぶことにしました。
ただ前提として、このような修行は好きな人の前でやるに限るということがあります。
"プロローグ 想いが通じる5つの基礎"
あなたを「信頼のおける人だ」と思っている相手なら、少々言葉が足りなくても通じる。Amazon.com: あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫) (Japanese Edition) eBook: 山田ズーニー: Kindle Store
阻害原因3:自己の正当化
実際に自分が悪いのに、自分を正当化して守ってしまうことも、非常に多い。ガキ過ぎる。
これはまだ掘り下げていない。この正当化自体も、さらに相手の怒りに油を注ぐことになるため、これはこれでどうにかしなければならないのだが。。。
たぶん私の子どもの頃の感覚だと思うけど、相手が怒ってきた時に「故意だ!」と判断してたとしたら、自分がどうとかは関係なく『相手が間違った事を言ってるから気になる!正したい!』みたいな感覚で「故意じゃない!」と主張してた覚えがある。話してる内容や起きている事象じゃなく、目の前の「間違っている事」のみに焦点が当たって、そこにしか意識がいかないみたいな感じ。
でも、これを主張しても相手は話の内容や起きている事象について話し合いたいから「そんなの関係ない!」となる。でも、私はそこが気になって話が聞けないから何度もミスを繰り返す。
対策3:まずは事実の共有
「あなた自身の意見は必要ないのではなく、事実関係を相手と共有できた先に、求められたり、活用されたりする。」(山田ズーニー)https://t.co/tpG1xUbQ3C
— jinthebassman (@jinthebassman) 2019年11月17日
またもやズーニー先生の著書からですが、相手と自分のものの見方をそろえる意味でも、事実関係の確認、認識合わせから入っていくのは、必要なことと実感している。記事冒頭にも書いたとおり。
一足飛びに答えに飛びついてしまう思考からすると、非常に時間がかかる無駄な作業に見えることも多々あるが、相手にどういう悪影響を与えてしまったかも含めて確認ができれば、自分事にもできるし、正当化も不要になるか。
また、未消化だが、以下のアサーティヴコミュニケーションの視点も参考になりそう。
「たいへん言いづらいことなのですが、実はこの件は…」 くらいにシンプルにはじめると、相手は「なるほど、言いづらいことを言おうとしているのだな」と聞く耳をもちます。
自分の気持ちを表すことを、「自己開示」といいます。 自分の気持ちを率直に、シンプルに、そして誠実にそのまま口にすればいいのです。
自己開示をすることで、次の2つの効果が得られます。1つは、自分の不安のレベルを下げることで本題に入りやすくなること。もう1つは、言い訳ではなく気持ちを伝えることで、相手の心がこちらに向きやすくなることです。私たちは言い訳については聞きたくありませんが、「言いづらかったんだ」くらいのシンプルな自己開示は、むしろ「そうだったのか」と受けとめて興味をもってもらえる場合が多いのです。
「嫌い」「違う」は口にしない
たぶん地雷を踏みやすい人というのは、常に話の本質を突こうとしているからなんですね。…本質が見えているから、どうしてもそこを避けて通ることができない。とはいえ相手を怒らせるつもりもない。つまり生理的な問題なんです。…じつにイノセントで素朴な反応だと思います。でも…それは自分のほうが正しいっていう意味論争ですよね。相手に「ああそうなんだ」って思ってもらえるのが目的だとすれば、その内容を噛み砕いて話せばいいだけで、「嫌い」「違う」はべつになくてもよくないですか?吉田尚記氏に「会話がはずめば中身はあとからついてくる」と教わる:なぜ、この人と話をすると楽になるのか - タイトルとかはないよ、いまんとこ。
補足:この仮説の穴
仮説ですので、是非検証をしてみてください。
「結局自分のやりたいこと以外は興味ないし、興味ないことは何もしてくれないし話も聞いてくれない」と思われてしまうことが、これを実践したときに陥りそうな穴ですかね。
それでもやるべきことはやらなきゃいけないし、共感的なやりとりもやらなきゃいけないので…某ブログではないですが「やっていきましょう」と締めておきます汗
疑問:人はなぜ謝罪を求めるのか
以前Twitterに書いたが、腹が立ったときに相手に「何でそんなことをしたのか」「やりなおせ」というような感情は枠が、「とりあえずまず謝れよ」という感情はあまり起こらない。とてもいらいらするけど、謝られたところで特に何か具体的な変化があるわけではないので、謝れ、というよりは、やりなおせ、とか、かたづけろ、とか、事態を回収しろ、という思いの方が強い。謝られたところで、例えば割られたお気に入りのお皿は元には戻らないし、一度生まれてしまった怒りや悲しみはなかったことに出来ない。
冒頭で書いたとおり、謝罪の目的が関係の維持だとすれば、謝罪を求めるのは、「あなたとはまだつながっていたい」「勝手に私や世間や社会から離脱しないで欲しい」という気持ちの表れで、大きく言えば、愛とか恐怖とかに繋がるような物なのかも知れない。
私も謝れない問題に悩んでいる。「悪い悪くないの前に、あなたが原因で傷ついた相手を慰めて」という、謝罪を求める気持ちというのが、共感できなくて、困っている。謝罪されて自分の気分が回復する、という経験が少ないのかも。「ごめん」を相づちぐらいにしか捉えられない。 https://t.co/G3WII1PsYr
— jinthebassman (@jinthebassman) 2019年11月27日
参考文献
自閉症とは、先天的な原因から、
対人関係の特異性
コミュニケーションの質的障害
イマジネーションの質的障害
という3つに特徴があらわれることから診断される障害です。
誰かに何かをしでかしてしまった時、「あの人…きっと怒ってるんだろうな」と考えるのは子供。自分が罰を受けるか受けないかを心配しているだけ。「あの人…きっと悲しいだろうな」と考えて今後の行動を組み立てるのが、大人です。
— 田中泰延 (@hironobutnk) 2013年11月9日
感謝と言えば、「結果への感謝」と「気遣いへの感謝」の話を思い出す。共感を示す行為としての「労う」は「気遣いへの感謝」の面が強そうだ。これは私の「感情は相手のモノ。変えられない、操作しない」からはたどり着きにくい。共感のそもそも論とのずれ?意識的練習が必要。https://t.co/DkBLRY9B9u
— jinthebassman (@jinthebassman) 2019年9月25日
そう、ASDの方が一番よく知ってると思いますけど、感情って人に解決してもらう事じゃないんですよね。
— まめ (@mo_zahrada) 2019年10月9日
だから、悲しいよーなどと相手に言う時は、どうしたの?何があったの?訳を聞いて欲しい。それを聞きもせずに、泣く事ないよと言われてしまうのって辛いです。泣かないですむなら泣いてないので😅
発達障害の子どもたちは、他者の立場に立って、他者の見方で自分自身を理解することが苦手な場合が多いように思います。極端に言えば、自分自身の立場にたって、自分自身の見方で理解した世界が世界の全てなのです。
日本語アスペクト的発想だと、失敗を自分ごとにとらえられない。結果は自分の外側、預かりしれないところで起きることとなってしまい、謝罪の動機が非常に弱くなってしまうのではないか。
— jinthebassman (@jinthebassman) 2019年10月22日
ASD者について話をする時に「想像力」という言葉はあまり使わないほうがよいと思っています。想像力という言葉はちょっと「大きすぎる言葉」なので、もっと具体的にかみ砕いて話をするほうが有益だと思うからです。
自閉症スペクトラム者と「想像力」① 言葉の乱用と混乱の整理 | 村中直人の雑記帳
では、社会的な想像力とは何でしょうか?
それは「にんげん」に関連することを想像することだと私は思っています。具体的に言うなら「他者の内側で起こっている見えない何か」や、「未来の他者の行動」を想像することと言えるかと思います。
コミュニケーションの問題
アスペルガー症候群の人の話し方はちょっと変わっています。話すことができないわけではありません。おしゃべりなアスペルガー症候群の子どもも沢山います。でも話し方が少し変わっています。一言でいえば会話のやり取りが長続きしないのです。話し方が回りくどい、曖昧が苦手、細かいところにこだわる
一方的でわかりにくい話し方
言外の意味を汲み取ることが苦手
言葉の間違った使い方
分かりにくい話し方,訥々とした話し方,駄洒落を好む
http://www.autism.jp/knowledge/whatisas/web-j.html
認めるところは認め、謝罪するところは謝罪し、反省するところは反省し、そして自ら主張すべきところは主張する。
記者からの質問には全て答える真摯な態度。
完璧な記者会見だった。
橋下徹「なぜ宮迫さんの会見は完璧か」 企業は不祥事対応の手本にすべき | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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