「やらなかったおまえが悪い」を受け止めろ:物事に主体的に取り組むとはどういうことか考えてみる
このブログで『ゆっくり、いそげ』を取り上げたときに、以下のように書いた。
結局は、主体的にやること。糸井さんの言う当事者意識ってのも、これでしょう。テーマは違えど、河合隼雄先生にも本気で生きろといわれたし、岩本友規氏の「自立しろ、天職を持て」も同じだ。
主体的になれと影山知明氏も言った:ゆっくり、いそげ カフェからはじめる人を手段化しない経済 - タイトルとかはないよ、いまんとこ。
どうも、多くのことの解決策が、「主体性」に帰結するらしい。
- ところで、「主体性」ってなんだ?
- やりたいことをやれ、やりたいことだけやれ、「やっておいたほうがいいらしい」程度で動くな
- やりたいことを選び、その結果に責任を持てば、自己肯定感は高まる
- 当事者意識を持てと相手に求めることの無理
- 実践メモ
ところで、「主体性」ってなんだ?
このあたりの言葉は日本語由来ではない。哲学系の用語だろうと思われるのでオリジナルは英語ではないだろうが、英語ぐらいしか読める外国語がないので、OALDで関係ありそうな単語を見ておく。自己啓発本の総本山『7つの習慣』は触りしか読んでいないが、『7つの習慣』で用いられているのは「proactive」だった。
- independent: done or given by sb who is not involved in a situation and so is able to judge it fairly
- subjective: based on your own ideas or opinions rather than facts and therefore sometimes unfair
- proactive: controlling a situation by making things happen rather than waiting for things to happen and then reacting to them
- active: involved in sth; making a determined effort and not leaving something to happen by itself
(試訳)
- 独立的:状況から切り離されることでその状況を公正に判断できる立場からの行動によってもたらされていること。
- 主観的:ある人の考えや意見に基づくこと。事実に基づくものではないため構成ではないことがある。
- 率先して:ことが起きるのを待ってそれに対応するのではなく、状況を支配すること。
- 積極的:物事に関わること。固い決心をもって努力し、成り行きにまかせないこと。
7つの習慣とは、「依存」から「自立」、「相互依存」へと至る、成長の連続体を導くプロセスでもある。そのプロセスは、「私的成功の習慣(第1~第3の習慣)」、「公的成功の習慣(第4~第6の習慣)」、「再新再生の習慣(第7の習慣)」と大きく3段階に分類することができる。
10分で読める要約『完訳 7つの習慣~人格主義の回復~』|転職ならtype
やりたいことをやれ、やりたいことだけやれ、「やっておいたほうがいいらしい」程度で動くな
なるほど。うん。わかった。フローとかグリットとか、そりゃ、そうなれば無敵よね。でも、物事に常にそんな風にかかわっていくのは、無理だ。だから、天職を見つけろ、とか、やりたいことをやれ、とかそういう話になる。
吉本 自分が当面するいちばん切実な問題を それぞれで片付けていく途中、 不幸な人とか、 困った人とか、 そういう人にぶつかったとしたら‥‥
糸井 そこで「切実」が変わるわけですよね。
吉本 そのとおりです。今度はそこに力を貸してやるとか、そういうことが出てくるわけです。そういうことが重なっていくと、国を変えるとかいうことに繋がるから。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 吉本隆明 「ほんとうの考え」
ここまで書いてきて思ったのが、この「当事者意識」って要は、「自分の思うまま好きなように行動せよ」という “推奨” の文句なのかもしれない、ということ。
「当事者意識」とは?周囲の物事を“自分ごと”として考えるのは難しい - ぐるりみち。
本当に大切なことに集中したいなら、ちょっといいなと思うけれどそこまで大切でないものを容赦なく捨て去る勇気が必要だ。昔も今も変わらず本当に大切な物はわずかしかないが、現代は「ちょっといいモノ」であふれていて、大切な物が見えにくくなっている。手放す勇気が人生を価値あるものにしてくれる
メンタリストDaiGo on Twitter
やりたいことを選び、その結果に責任を持てば、自己肯定感は高まる
必要以上に防衛的にならずに済む。つまり、しあわせになれる。
やった結果だけでなく、やらなかったことによる結果についても受け止めるのが大事になりそう。「やらなかったおまえが悪い」もきちんと受け止めること。
アサーティブにおける自己責任は、「自分の言ったことには責任をもつ、言わなかったことを誰のせいにもしない」と言いかえることができます。それは、自分と相手は違うのだから、自分も相手も責めないで、何が問題なのか、どうしてうまく伝わらないのかをもう一度考えてみよう、というアプローチのことでもあります。つまり、「自分のせいだ」「相手のせいだ」と、誰かのせいにして終わりにしないことです。
(『心が軽くなる!気持ちのいい伝え方』)
自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である。
自己肯定感 - Wikipedia
宇野常寛(以下、宇野) 時間に対して自分が主導権を持ってるって感覚、これが自己肯定感のベースだと思うんですよ。日中の活動的な時間を他人に決定されてることの絶望みたいなものって、圧倒的に大きい。
負の気持ちでしかつながれない日本はインターネットの使い方を間違えている|「自分を仕事にする生き方」がこれからのスタンダードになる 宇野常寛×はあちゅう|宇野常寛/はあちゅう|cakes(ケイクス)
ほんとか?たぶん、ほんとだ。
当事者意識を持てと相手に求めることの無理
ブルーベリーの水やりを、夏場に数日忘れて、だいぶ枯れかけている。
妻に「枯れないか心配だ」と言うと、「枝が枯れていないから大丈夫」と、とくに心配はしていない様子。その後、何度か「心配だ」というと、その度に「あなたが寝坊で水やりしないからだ」との答え。
妻は特に心配していないらしい。何で?どうして?と思っていたのだが、ふと私は妻に私に同調してもらいたがっていることに気づいた。
なるほど「当事者意識を持て」というのは「私と同じように心配しろ」ということだったのか。(20/8/13)
無理な話である。人に言われたからといってそのことが自分にとって切実なことに急になったりはしない。
実践メモ
Give(=良かれ)のつもりでやったことでも、相手の意に添わず、かつ失敗して相手の仕事を増やせば、ぼろくそに言われる。
ゴミ袋がない、納戸の中だ。納戸を開けるためには妻が集めておいてある大量の段ボール箱をどかす必要がある。段ボール箱はすべて妻が私の奨学金を返済するために始めた仕事の商品だ。だが、そもそも戸の前は開けておくべき。寝不足で眠そうな妻に頼むべきか?いや、自分でやろう。
…これで戸の前は空いたし、ゴミも捨てられた。だけど、梱包材が少し破れた。報告しよう。
結果、言われたのは「どこに何があるか分からなくなったじゃない、何してくれんのよ。」
ここで、反論してはいけない。戸の前は空いていて欲しいという、伝えたいことは伝えた。これ以上の言葉のやりとりは不要だ。切実同士の対立だが、反論してはGiveにならない。我慢だ。
そもそも、スタート時点から対等ではないのだ。子どもがいて、奨学金が残り、グレーゾーンとはいえ私には発達障害がある。健全な負債どころか、莫大な負債と言われてもおかしくない。さらに、母親となった妻は、常に寝不足だ。機嫌がよければ奇跡。だから、ことは慎重に、しかし、着実に、進めなければならない。