タイトルとかはないよ、いまんとこ。

>アスペな自分 頭でっかちにならないように、体験ベースで書けよ。

言語は物事をとらえる枠組みを与える

COURIE JAPONの記事に便乗。
おかしな偏見につながりかねないな、と思ったので、コメントしておく。

第二言語だと母語を話すときより論理的かつ実利的に
2ヵ国語以上を話せる人は、見識や世界が広がるといわれる。一方、あまり知られていないのは、使う言語によって「人が変わる」「意思決定に影響を及ぼす」可能性があることだ。
バイリンガルが使う言語によって「人が変わる」理由 | クーリエ・ジャポン

似た話がWIREDにも

外国語で情緒的な話ができるか

外国語で情緒的な話ができるって、結構レベルの高い話。冗談が言えたり、ケンカできたり。なかなかここまで外国語を操れる人も少なそう。なので、外国語だと論理的になったり、実利的になったりするのは、そのようにしかまだ話せない、という可能性がまずひとつ。

COURIEの記事中にもあるが、言語の習得環境の違いもあり、外国語のスキルが、話者の中で、情緒を操れるレベルまで達していない可能性がある。シンプルに語れるようになるのではなく、シンプルにしか語れないのでは。

世界には、母語以外で文学作品を書く人(書かざるを得ない人)もいるし、外国語では情緒的になれない、という風には捉えないようにしたい。

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言語には得意な型がある

ある話者の言語の習熟度とは違う次元で、言語学の世界では、文法は文化を反映していると考えることがある。
たとえば、英語では単複の区別が文法上の必須事項で、単数なのか複数なのかを決めないと文を生み出せない(名詞も動詞も単複で形を変えないといけないから)。一方、日本語では単複は文法には織り込まれていない。
日本語では、文末の、である/ですます、どちらかを必ず選択することになるが、これは、内容ではなく相手との関係性が文法に織り込まれていると捉えることができる。
文法が文化を反映しているのか、文化が文法を作るのかはよく知らないけど、これを言わなきゃ文法的にアウトという条件が各言語にあって、これはその言語の特徴であり、その言語を共通言語としているコミュニティでは、話者が意識してなくてもその観点で世界を分析せざるを得なくなる。たとえばリンゴはいくつあるのか、丁寧にですますを使わなきゃいけないのか、などを、考えずにはすまされない。
ピジンのような場合は、また違った現象が起こるだろうけど。)
より大きな単位では、英語の構文は中学で習うように大きく5つの文型に分けられるが、これもこういう内容ならこの型で伝えるのが一番伝わりやすいよね、という、パターンになっている。そして、英語はSVOを中心に構成され他の構文はその派生と説明できる。SVOは他動詞=主語が目的語に働きかける=因果関係を伝えるのに便利な、シンプルで力強い構文である。
一方日本語では、英語がOがSに何かされた、と目的語から派生した受動態を使う場面で、他動詞の受動態ではなく、結果だけを示す形容詞的な文や自動詞を使いがちである(「the door is opend.」に対して「(何者かに)ドアが開けられた」ではなく、「ドアが開いた」などと表現する)。この対比を、英語は「する型」、日本語は「なる型」なんて言い方をすることがある。これもひとつの文型であり、日本語は経緯や因果関係よりも、目の前の状況のほうが大事なんだ、といってみることもできるだろう。
言語決定論(思考は言語が決める)は、強すぎるけど、はめ込まれがちなパターンは、存在する。そういう意味では、意思決定に影響を及ぼす、というよりは、考え方が構文パターンに寄ってしまう、ということは、ありそうかなと思う。
ただし、得意なパターンがあるからといって、その枠組みでしか思考できないわけではない。日本語の文法の必須要素に数が織り込まれていないからといって、数を表現できないわけではないように。

日本は非常に優れた翻訳文化を持っており、英語の世界で考えられていることはほとんど日本語で考えることが可能になっています。
日本語は「空気」が決める~社会言語学入門~

予備校講師として、中学生・高校生・大学受験生を指導していると、学力下位層に必ずといっていいほど欠けている感覚が、「品詞の感覚」です。
小学生であれば、大学入試までを見据えて、必ず身に付けておくべき「品詞と文型」を小学校の英語学習のうちから緩やかに理解しておくことで、「小学校までは英語が楽しかったのに、中学校から英語が嫌いになった。それからずっと英語が苦手だ」という大ケガを生じさせないようにできるでしょう。
急増する「英語の発音だけいい人」が抱える難点 | 英語学習 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

判断は理性と感情の両方を用いるべき

心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられている。ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。
外国語で考えるほうが合理的:研究結果 | WIRED.jp

WIREDにあった上記は、本ブログの別記事で紹介している内容と重なる。

賢明な心
リネハンが提唱するDBTの枠組みでは、感情と理性を統合して重ね合わせたものが「賢明な心」であり、賢明な考えに通じる道とされています(1993a)。賢明な判断を下すとき、人は状況全体を的確にとらえ、感情と論理の両方を取り入れて、直感的に判断しています。
あなたの子どもが激しい感情の持ち主で、ほとんどいつも感情的な態度をとるのなら、親であるあなたがなるべく賢明に考えるように心がけなければなりません。
石井朝子氏に感情について教わり穏やかで前向きなやりとりを目指す:感情を爆発させる子どもへの接し方 - タイトルとかはないよ、いまんとこ。

説明や指示には英語の論理を活用できる

上述の通り、SVO文型(因果関係構文)を中心とした物事の捉え方は、そのまま、物事の因果関係を説明するのにとても便利なので、実用文には向いた構文だと思う。

日本語ライティングの際も、主語・他動詞・目的語を意識すること、特に、目的語を抜かないことが、端的に話したり、明確な説明や指示をしたりするにはとても重要になる。

これは、取説執筆の際にも常に意識してきた。以前、「日本語マニュアルの会」が作成している「日本人のための日本語マニュアル」というものに出会ったことがある。そこでは、日本語原稿作成から翻訳原稿完成までの過程とそこで生まれる成果物は、以下の6つに整理できると考えられ、3番目と4番目の重要性を訴えていたが、その通りだと思う。

  1. メモ書き(「試みる日本語」)
  2. メモを自分のためにまとめた文章(「表す日本語」)
  3. 三者に伝えるための文章(「伝える日本語」)
  4. 外国語に直訳できる日本語(訳せる日本語)
  5. 「訳せる日本語」を直訳した翻訳原稿(「表す外国語」)
  6. 三者に伝えるための外国語文章(「伝える外国語」)

※ネット上で出典うまく見つけられず。PDF直リンクなら落ちているようだが…
https://www.tech-jpn.jp/

https://japio.or.jp/

説得には日本語の「なる型」表現が使えるかも?

結果を自然発生したかのごとくぽんと放り込む、なる型自動詞の表現(「作った」ではなく「できた」、「壊した」ではなく「壊れた」)は、イメージを持ってもらうことで気持ちを揺さぶる=説得するときには、効果的なのかも。

これは、日本語の動詞の多くが、動作の着手の部分にしか着目していないから、と説明されることがある。前述の日本語マニュアルの会に参加されていた外語大の佐野先生もそんな説明をしていた。「壊したけど壊れなかった」という表現が日本語では成立するけど、「I broke it, but it wasn't broken.」は違和感が強い、ということだと思っている。同じく外語大の宗宮先生の授業でもそんな話は聞いたはず。
※出典見つけたら取り上げます。

日本語には、結果は結果で別に取り上げなければ、結果を伝えたことにはならないという特徴があるのかも。「私はこれをやった」と「これがこうなった」を別々に存在している。宗宮先生はこれを「日本語はパッチワークのようだ」と評していたと思う。

取説でも「【開く】ボタンをクリックしてください。ウィンドウが開きます。」といった形で、指示は他動詞で、結果は自動詞で、と使い分けるのが基本です。