タイトルとかはないよ、いまんとこ。

>アスペな自分 頭でっかちにならないように、体験ベースで書けよ。

吉田尚記氏に「会話がはずめば中身はあとからついてくる」と教わる:なぜ、この人と話をすると楽になるのか

アスペルガーのコミュ障問題に取り組む具体的な手掛かりにしている一冊。なかなか実践は難しく、改めて読みなおしたら、全然できてないな、と思ったので、改めてしっかり取り組んでいきたい。

ニコ生の放送を文字起こししたものがベースのようなので、引用は目次順ではなく、こちらの思うように再編集しました。

【中古】なぜ、この人と話をすると楽になるのか /太田出版/吉田尚記 (単行本)

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基本編

会話を続けるためには、主義主張なんていらない!というのが、ベースにある内容なので、主義主張したければ関係性が切れること覚悟でやりなさいよ、という頭で読む必要がありそうかな。ズーニー先生は訂正はしっかりしろ、と書いていたし、主体性は発揮しなきゃ周囲に流されるだけ。ただ、その表現には覚悟いるよ、ということかな。『マイ仏教』の「自分なくし」も基本は熱中であって、主体性の塊だ(主体的に「機嫌行」に熱中する、という選択肢も含め)。

この本の著者のように、ゲストの面白い話を引き出すことに熱中できるならど真ん中だろうし、そうでなく、ほかに実現したいことがあるなら、その手段としての関係性づくりにこの本の考え方や方法論を活かしていくことになるか


等身大のメディア力をめざそう
まずは、誇張のリレーにのっかるような芽をつむこと、つまり、受けた誤解はすぐに解け!
小さな誤解も、放置せず、きちんと、すぐ、その場で、全力で解いておこう。

「自分を変えること」を恐れるな
「その人になりたい!」と思って、必死で真似をしているとき、自分はなくなっています。その人になりたいと思って、できるだけ真似をする。つまり誰かを好きになって夢中になる、という癖をつければいいのです。
機嫌ブーム
人間関係がうまくいっていないときというのは、得てして相手の機嫌を取ることを怠っているときです。
僕滅運動
自分をなくして、相手の機嫌を取る」行為、これまで「修行」と呼んでいたものを、私は「僕滅運動」と呼ぶことにしました。…ただ前提として、このような修行は好きな人の前でやるに限るということがあります。これを嫌いな人相手にもしなければならない、というのは相当な「荒行」です。

コミュニケーションの目的は、コミュニケーションである

この本の基本思想は、以下の2点に集約される。未熟なアスペルガーにとってはどちらも難関。

  1. コミュニケーションの目的は、コミュニケーションである
  2. コミュニケーションに自己顕示欲は要らない

「言いたい何か」を正確に伝えることを優先しないコミュニケーションという発想はなかった。でも、これが定型社会の「楽しい会話」なのだし、私も「楽しい会話」を知らないわけではない。なぜ楽しかったのかを考えたことか無かっただけだ。私が出来たらラッキーぐらいに思っていることを、みんなは追い求め続けている。

一方で、自分を分かってもらえることの嬉しさも知っている。でも、これを自分から求めて取りに行くと、かえって得られないということなのかも。会話を転がすことで、言外に伝わる何かの方が、よっぽど自分を伝えてくれる、と言うことなのだろうな。(これについては後述する)

コミュニケーションの目的は、コミュニケーションである
すべての前向きな努力、すべての欲というのは、実のあるコミュニケーションがとりたいってところに行きつくんじゃないでしょうか。

コミュニケーションに自己顕示欲は要らない
逆に「ウケたい」「楽しい」よりも「言いたい何か」を正確に伝えるのが優先されるなら、それに同意できない人とは議論や論争になってしまいますよね。ぼくは誰かを言い負かしたところで何かが伝わるとはまったく思っていません。それより、ぼくが反応したことによってコメントを寄せてくれた人が楽しさを感じてくれる。おたがいに持ち寄ったものがいまここにある。共有と共感が連続してある。そこにまた言葉が生まれコミュニケーションが活性化する。そこが大事なんだと思います。

自己顕示欲から無駄な議論~喧嘩になった例

20/12/30、朝食時の妻との雑談

私:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読みたいんだけど図書館が冬季休館になっちゃって間に合わなくて残念。
妻:「限りなく透明に近いブルー」にタイトルが似ている。プロなら有名作に似たタイトルは避けるべきでは。それができない人の作品は読む必要なし。その程度の力しか掛けないエッセイならブログでやればいい。
私:僕はそんなに似てるとは思わないし、似てても大した問題じゃないのでは。(しどろもどろに説明を続けようとする)
妻:シンプルにはなせない、長い説明が必要になるようなら、その論は間違ってる。
私:そうですか。うまい説明しか聞きたくないんならこの話はやめる。おしまい。

自分の好きなものの話を自分からするとき、私の場合は、「こういうのが好きな俺ってかっこいいでしょ」っていう自己顕示欲があると思う。結果、共感されなかっただけで人格否定された感覚になって疲れる。相手から話題として振られない限り、自分の好きなものの話をするのは避けた方が無難。

この本のルールで行くと、お互いラフプレーをしあってヒートアップしてる事例。自分から気づいて、自分の双方のミスをフォローしたい。この場合は、反論しそうになったら、いったん黙る。そして、相手の話を聞くべき。後述の技術編参照。

対戦型のゲームではなく協力プレー

自分が間違っていないことを主張しようとすることは、会話を対戦型ゲームに変えてしまうので慎重に。これはたいてい劣等感とか防衛反応とかから来ると思うけど。

冒頭あった通り、コミュニケーションによって関係を維持し続けることを念頭に置き続けること。

2 「コミュ障」だった私
対戦型のゲームではなく協力プレー

コミュニケーション・ゲームは、相手を言い負かすとか、自分だけが気持ちよくなることを求めません。相手が気持ちよくなれば、自分も気持ちよくなる。相手が楽なら自分も楽だという一蓮托生のゲームなんですね。

劣等感は無視しよう
人間誰しも、負けてると思うからコミュニケーションに参加したくなくなるんです。自分の正当性を主張したくなるし相手にそれを認めさせたくなる。でもそれではまだ、コミュニケーションを相手との対戦型として考えてしまっているんです。コミュニケーションは協力プレーです。協力プレーである以上、相対的な比較や優劣なんて関係ありません。…劣等感はあっていいです。…生まれてしまった気持ちを無視することは、努力次第でできるはずです。

沈黙していられる関係
非戦のコミュニケーションを積み上げていった先に何があるかというと、究極は沈黙なんです。…その状態が心地よければ、黙っていていいんです。でも毛繕いはしなきゃ生きていけない。

ゲームは強制スタート

コミュ障が会話を長続きさせるための本なので、受け身の話が多いです。ただ、こちらから話しかけざるを得ないこともありますよね。そのときも、質問=相手に主導権を渡すことを基本とします。

ゲームは強制スタート
コミュニケーションは目の前に相手が現れたとたんに参加させられ、いつでもどこでもはじまってしまう強制ログインのゲームです。

ゲームをより楽にプレーする基本
できるだけうまくいくよう確率を上げていく方法はあります。その基本はたったひとつ。人にしゃべらせる。
…最初に話しかけるとき以外、自分からしゃべる必要はない。ぼくは何を訊こうか決めて人に会いに行くことはありません。
訊くことがあって、相手にしゃべってもらって、その話を聞く

話題とは何か?
このように話すと、いまも現に〈話題があればいいんだけど〉って問いが必ず寄せられます。コミュニケーションはふたり集まったら強制スタート、はじめからそこにおたがいの興味が一致する話題はまず存在しません。

時間がつながる会話をするためにはどうすればいいのか?その答えはじつにシンプル。質問すればいいんです!…話題とは質問であって、自分の話をするのではありません。いきなり自分の話をはじめるのは、相手に対して「あなたにはニーズがない」と言っているようなものです。

話題とは質問から生まれる相手の受け答えです

「伝える」ではなく「伝わる」

以下の記事でも書いたが、そもそも言葉は伝わらない。
jinthebassman.hatenablog.com

さらに、この本では会話は関係性を維持するためだけに行うもので、何かを伝えるために行うものではないとまで言っている。上記の記事でも、終盤にボブ・マーリーの気持ち良いだけの語りを紹介しているが、それが究極の目的とされている。

すでに述べたが、話し手の意図とは無関係に伝わってしまう何かのほうが、言葉で意図的に伝えようとしている内容よりも、伝わりやすいということだろう。

「言葉で伝えたい何か」があるのであれば、その何かを行動に移しなさい。行動し続けていれば、敢えてそれを主題にしなくとも言動の端々からそれが伝わるようになりますよ、ということかな。主体性は、ここで発揮されるはずだ。だから、決して主体性や目的を持つな、ということではない。伝える手段としてはほかの物の方が強力だ、ということだろう。
※細部を補強するために言葉が必要になるかも知れないけれど、それが必要な場面は、わずかかも知れない。

言葉で何かを伝えたいと思った時も、会話を転がし続けるための手段としての「質問」の形で提示するべきとされている。そもそも伝わらないのだから、伝わることを期待してはいけない。冒頭述べた「訂正」も、会話を続けたいのであれば、「それについてはこんな風に思うんだけどどう?」という感想や質問、提案の形で角が立たないようにしなさい、ということですね。
あるいは、いっそ、指示・命令や明確な依頼の形を取る。相手との役割分担を前提にできるような、やはりビジネスライクな関係のなかでなら、そのほうがもやもやとわかりにくいことを言うよりも、よほど助かるかもしれない。そのときも、下手を打つと関係が切れることは覚悟の上で、ということになるか。どんなときも、giveから始まる関係の方が気分は良いし、気分が良ければパフォーマンスも上がるだろう。(20/5/30)

空気を読むことについて、この本では攻めの意識でかかれている。ただ、実感としては、危機を察知するため=謝罪が求められる場面の回避のために磨くべきだと思う。

「伝える」ではなく「伝わる」
伝えるというのは、何もしなくても自動的に伝わってしまうことを、より正確に伝えようとする意思の表れです。誤解をより理解に近づけようとすること。伝えるべき事柄をより伝わりやすくする、そういう演出なんですね。相手に伝わってしまうことは、自分では選べません。…自分を伝えるとか表現するというのは、命令と同じことだと思います。「こちらの解釈した形で理解しろ」と言っているのに等しい。そんな強制はだれにも出来ません。

人に自分の考えを伝えたいと思ったら、「ぼくはこう思うんだけど、どうだろう?」ぐらいの演出がなければ難しい。伝えたいという気持ちを前面に押し出すのではなくて、まずは訊いてみる程度の意識じゃないと相手も反応しづらいんです。

伝わるものはコントロールできない
…コミュニケーションは、自分が伝えたいと意識したことが相手に伝わるわけではない。逆に言えば、伝えたいことなんてなくても、何かが伝わってしまうことが前提になっているんです。

必死にやってはじめて、伝わる何かがある。伝えようとして伝わるものではない。プレーしているうちに選手から滲み出てくるものがあってはじめて、何かが伝わるんです。コミュニケーションも同様、そこから何を得るかはあくまで結果であって、誰かがコントロールできるものではありません。

「空気を読む」とは何か?
…コミュニケーション・ゲームには気まずさに負けないというルールがあることを思い出してください。そうです、コミュニケーションをとることでみんなが楽しくなる、その目的のためだけに空気は読み取られる必要があるんです。

「空気を読む」を具体的に噛み砕く
一言でいえば、その場のムードに自分のテンションを合わせることです。…相手のテンションを先入観で勝手に想像して、自分のテンションをそこに合わせるんです。あとは会話をモニタリングしながらチューニングしていけばいいんです。

テンションを合わせる理由
より会話が弾みやすくなる環境を作るためです。

相手にどんどんしゃべらせよう
そもそも言い負かすことで本当に人の意見を変えられますか?自分の考えが変わったり価値観が変更されるのは、言い負かされたときじゃなく自然に「あっ」と思えたときでしょう。話しているうちに「あっ」と気づいたとき、メッセージは伝わるんです。

ぼくはよく「楽しそうですね」って言われるんですが、べつに楽しいってメッセージを伝えるつもりでやっているわけではありません。ただ相手をおもしろがらせたいと思ってしゃべってる、それで自分も楽しいだけです。コミュニケーション・ゲームでは、言葉は自分のものではなく、相手のためにあるものです。自分ですべてを管理するなんてできっこありません。

以後、私は決して他者へ「提案」しないことにした。
基本は「好きなようにすればいいじゃない。」だ。
その代わり、アドバイスを求められたら「何をやりたいんですか?」と質問ばかりをするようになった。
他者へは命令も提案も無意味。できるのは、ただ相手の「やりたいこと」を利用するだけ。 | Books&Apps

技術編

時間がつながる会話をするためには質問すればいい

効率化のために長話聴きたくないときはあるけど、この本の論理では、そういう時間を持てない余裕のなさ自体が悪、なんだろうな。。。仕事のやりとりは、インタビューではなく、調査や取り調べであるべき場面も多い。だから、楽じゃない。

でも、よく考えれば、仕事での「主張」「表現」も、受け入れられなければ意味がないため、上述の通り「どうでしょう」という質問(=提案)の形で行われてますね。

はっきりと主張することを「求められる」/「期待されている」こともありそう。それでも、こちらの我を通すのではなく、あくまで、相手の要求に応える形になるのか。無理なら、否定せず、黙秘せよ、と。

その相手の要求が、明示されず、「空気」の場合もありそうだけど、明確じゃないルールに従わなきゃいけないルールはない、と書かれてはいましたが、「空気」に気づいた上で、乗るか黙るか決めたいところ。ただ、それが、アスペルガーには難しそう。

相手の話を全部聞く
相手が伝えたがってることだけ聞いておけばいいわけではない。そこに恣意を挟んでしまうと自分の話になってしまう危険が大きいんです。

パス――質問する
会話がはずめば中身はあとからついてくるものなので、とにかく相手が答えやすい質問をくり返せばいい。逆に相手からこのあたりの話を聞き出そうと意図して質問すると、インタビューが調査か取り調べになってしまって、おたがいに楽じゃないんですね。

先入観は間違っていてよい
人を先入観で判断してはいけないって、よく聞きますね。ぼくはそんなことないんじゃないかと思ってます。

…人にしゃべらせる方法を考えたときに、先入観は持っていたほうがいい。もっと言えば、先入観はむしろ間違ってるほうがいいかもしれないくらい。なぜか?人は間違った情報を訂正するときにいちばんしゃべる生き物だからです。

感想の増幅とダイレクトパス
より相手に気持ちよくしゃべってもらうためには、プラスの感想を増幅して付け加えるのがもっとも効果的なんです。…相手の話の中に「えっ?」と思える箇所があったら、「えっ?」と口に出すだけでダイレクトパスになるからです。

具体的に訊くことを心懸ける
もっとも重要なポイントは、「具体的に訊く」ということです。それも内容が伴った答えが返ってくるような訊き方をする。もし答えがイエス・ノーだけで終わってしまったら、それは質問じゃなくて確認です。…ぼくがよく引く例で言えば、「調子どう?」ではなく「おなかの調子どう?」って訊いたほうが答えやすい。

質問は簡潔に一文で
どういう問題が起こっているのか、詳細な状況を説明するのは、どれだけ長くかかっても構いませんが、質問は一文に留めましょう。
「どうすれば生産性が上げられると思う?」「どうすれば品質を向上させられると思う?」「もし私の立場だったら、あなたならどうする?」質問を一文に限定すると、答えを限定しない質問になります。
誘導尋問をやめて相手に「いい質問」をするための5つのやり方 | ライフハッカー[日本版]

実践メモ:「うん」から「うん、○○だね」へ変えてみた

私は何かを言われたときの返事にまごついたり、口ごもったり、どもったりで妻に「無視した」と指摘されることがある。

聞こえないって聞き返されたときに「○○って言ったよ怒」となってしまうところを「○○」ともう一度言うだけですませる努力。
さらに、「○○だよね?」と言われたときの返事が「うん」だけだったのを、「うん、○○だね」と付け加える努力。
この二つでだいぶ違う感じがしてきた。

相づちを「うん」から「うん、○○だね」と、具体的な言葉を付け加えるだけでも、ずいぶんスムーズにことが運ぶようになった気がする。

返事がただ「うん」だけだと、聞こえにくい「うん」はただの呻きみたいな音にしか聞こえないだろう。そこで、「うん」なら基本同意(あるいは対して興味ないので同意を示しておくのが無難)なので、「うん」だけでなく「うん、○○だね」と付け加えるようにしてみたら、多少聞き取りにくくても伝わる部分が増えるようで、「うん」だけよりも「無視」と捉えられてしまうことが減っている気がする。これは継続していきたい。

おそらく、「うん」だけだと、相手にとって理解する手がかりがゼロ同然、ということなのだろう。

常識や一般的な範囲を超えた歩み寄りや譲歩や支援を、支援者ではなく妻に求めること自体がおかしいという話を、どこかで読んだことがあるけれど、ようやく実感している。

やり方はあるでしょう。
支援者なら出来て然るべき。
障害の内容も熟知してるし、対処法も分かる。
ただね…『配偶者』は支援者ではないので、知らなかった世界を知るところから始めるんですよ…
その勉強開始の時点で『カサンドラ』の症状が末期に達してる事が多いのですよ…
これが大きなポイント
ひーちゃんカレー (@hiichan135)

コミュニケーション・ゲームの反則

  1. ウソ禁止
  2. 自慢はご法度
  3. 相手の言うことを否定しない

黙秘権を行使する
ウソをつくなら黙ってりゃいいんです。方便としてウソをつくよりずっと楽なテクニックだと思います。

自慢はご法度
コミュニケーションの技術として、自慢があるとその人の解釈が固定されてしまうからです。パスコースが非常に狭くなって、フィールド全体も貧困になっていくんですね。

自慢はどこかに、「おれのことすごいと思え」って命令形が混ざっているんです。会話は命令形じゃ伝わりません。相手が自由に反応したり解釈したりする余地があるかどうか、そういうやりとりがコミュニケーションの協力プレーを可能にするんです。

嘘はつかない、わからないなら無理に答えない

  • 虚偽の答弁をすると…

そもそも、嘘はすぐにばれます。調査官はわかっていることをあえて聞いてきているのですから。金融機関の取引履歴を押さえ、申告されていない口座があることもわかったうえで、「このほかに預金はないですか? どうですか?」と聞いてきます。大きな出金がされていることもわかったうえで、「このお金はどこへ行ったのでしょう? わかりますか?」と聞いてきます。

  • 聞かれたことにだけ答える
  • 午前と午後で矛盾を起こさない

https://gentosha-go.com/articles/-/23253

相手の言うことを否定しない

私が犯しやすいミスはこれだと思う。

自分が話したいことを話そうとしたときに相手がその主題について知らなかった場合、喜々として、あるいは半ばバカにしつつ、その主題について教えようとしてしまう、ことも。最初に話そうとしたきっかけ自体がきちんと話の流れに乗っていたものだとしても、その流れを無視してこれをやってしまったり。

相手を理解しようと思っていたとしても、実際には相手が自分と同じかどうか(=味方かどうか)を探ってしまっている、というのも失敗するパターンのひとつかも。事実確認を根ほり葉ほり質問して、その結果分かった状況で「自分だったらどうするか」を考えてしまった時点で、自己顕示欲が芽吹きそうな。あげく自分が相手に同調できなかったら相手の感覚がおかしいと否定してしまう…。

これは、誘導尋問にもつながっていくだろう。(20/6/21)

もし〈教える - 教えられる〉の勝利条件を踏まえていなければ、相手の言うことを否定してもコミュニケーションの実りは遠ざかるだけなので、黙秘権でクリアしたほうがいいと思います。…ときに「だから最悪でしょ?巨人」いたいなダイレクトパスがくる場合がある。そこで「うん」と答えるのは、大の巨人ファンとして口が腐りますよね。そういうときは「もうその話はわかったよ」って、相手を否定することなく黙秘する。そのテンションと真意は、楽しく会話をしていれば相手に伝わるものです。

武田も同じ考えで、「教えたくてたまらないんですね。人に教えたくてうずうずなさっている」と丸山議員の心境を分析。「人間というのは面白いもので、教えようとした時に必ず間違うんですよ」と断言し、「俺だけが知っているとか。こんな考え方も君たちはできないのかとか。人を導こうとか教えようとした時に、必ず人間は失言する」と指摘した。
政治家の失言をめぐる武田鉄矢の持論に松本人志もうなる - ライブドアニュース

「嫌い」「違う」は口にしない
たぶん地雷を踏みやすい人というのは、常に話の本質を突こうとしているからなんですね。…本質が見えているから、どうしてもそこを避けて通ることができない。とはいえ相手を怒らせるつもりもない。つまり生理的な問題なんです。…じつにイノセントで素朴な反応だと思います。でも…それは自分のほうが正しいっていう意味論争ですよね。相手に「ああそうなんだ」って思ってもらえるのが目的だとすれば、その内容を噛み砕いて話せばいいだけで、「嫌い」「違う」はべつになくてもよくないですか?

…一切の「けなす言葉」を胸におしとどめることができるようになった。
そして、心の中で大きく張り出されるようになった。
「この人にいなくなってほしい」
そこまで思ってないのなら、何も言うな。

そこまで思ってないなら、なにも言うな|末次由紀ちはやふる47巻もうすぐ発売|note

相手の言い分に乗ってみる
「ぼくはこう思うんだけど」って言うことで話が続く場合はあります。でもそれは、あくまで相手の言い分を踏まえたうえでの感想で、自分から率先して主張した意見じゃありませんよね。

「I disagree with you!」は、相手の意見を直接否定し、対立構造を生み出しかねない表現だからです。それをはっきりと強い口調で言ってしまうと、相手に対する否定感がとてつもなく大きいものになります。
グローバル・モードでは、相手が自分と違うことを直接的に否定するのではなく、「I have a different opinion.」(違う意見があります)と切り出します。各々の意見に直接優劣をつけることなく、中立的な立場を保ちながら、新たな意見を議論の場に投げかける形です。
英語研修では身につかない、日本人に決定的に足りていないスキル | グローバル・モード | ダイヤモンド・オンライン

事例:質問の姿をした否定

食卓に並んだ夕食。
どんぶりに入ったちらし寿司と、汁物。
それをみた夫が妻にいった一言。
「今日おかずは(ないの)?」

我が家での失敗の実例です。
これ、「おかずがないなんてあり得ない」と言う風に無意識に感じていることが妻に見事に伝わり、喧嘩になりました。

意識の上では事実確認以上の意味を込めたわけではなかったのですが、このような質問がでるということは、メニューに違和感を覚えたということで、このメニューでよいと思った妻のことを否定する発言として、妻には伝わったのでした。

謝った上でおかずを出せと要求したわけではない、誤解だ、と弁解しても時すでに遅し。数日たった今でもいらいらしているとのこと。

また、文化の違いも見えました。妻はちらし寿司は丼物のようにおかずと一体の食べ物と認識していました。私としてはそう認識できるちらし寿司は大皿料理としてのちらし寿司のイメージで、茶碗に入っていたら炊き込みご飯に近い扱いでおかずは別にある物という認識がありました。この認識に基づいて私は妻の文化を否定したことになるのだと思います。

そもそも妻は夕飯をつくる前に今日は疲れているから軽めにすると言い、私もそれに同意していました。妻の体調を思えば当然のことです。にもかかわらず、ついメニューにコメントをしてしまいました。強く主張をする意図も必要性もないのですから、本来はただ受け入れるべきで、それが「自分なくし」の心のはずですが、まだまだ未熟ですね。

糸井重里さんが、人間にはコメント欲について以前書いていました。一億層コメンテーター化とか書いているのを見たことがありますが、その欲求との戦いかもしれません。強く主張したいわけではなく、自己顕示欲をコミュニケーションで満たしたくなる欲求に、いかに打ち勝つか。自己顕示欲を満たして気持ちがいいのは自分だけだから、毛繕いにならない。

あらゆる人が、あらゆることについて「なにかしらコメント」をしようとする。そのためにと、参考にするためにネット上の意見を検索して、いちばん「よさそう」なのをじぶんも選ぶ‥‥かくして、ほんとうのじぶんの考えが失われていく‥‥「知りません」「わかりません」でいいことばかりなのに。
糸井 重里 (@itoi_shigesato)


主体性の話から言っても、口だけで行動が伴わない人を主体的とは言いにくいですよね。

教訓:

  • 質問なら何でもいいわけでもない
  • 誤解は相手の勘違いではなく自分の中に何か自慢や否定の種がある
  • 間違った先入観からの発言は相手を喋らせるが先入観の根幹に相手の判断の否定があると関係にひびを入れる主張になってしまう
  • 空気を読むことはやはり大事